ご近所づきあい体験

てるおのアパートに転がり込み

1年が過ぎた

いずれ出て行くところだと思い

あまり積極的にはご近所さんには

関わってこなかった

 

昨夜から降り続いている雪は

未だ降り止まず、せっかくの休日

朝から雪かきに追われている

 

『帰って来てからやるから』

無理するなと仕事へ行ったてるお

せめて車の雪下ろしと車周りを···

敷地内空きスペースまで雪を運んで

いると、向かいの部屋のおじさんが

『こんにちは!』と

今、大家さんが除雪車で来るから

こっち(おじさんの家)に雪寄せて

いいよ!と優しい言葉

『そんな遠くまで運ばなくて

いいから、気にしないで』

 

疲れたけど、何だか気持ちは

ホッコリ

 

まだまだ降り止まないので

一旦引き上げブレイク中🧉

 

どれだけ積もるのか恐ろしい

そんな昼下がり

遅すぎることはない

自宅に届いた一通のハガキ

某通信講座からのお知らせ

 

以前、職場で一緒に働いた薬学部の

先生

母親くらいの年だったが優雅な

独身暮らし

駅直結の高級マンションに住み

私と同僚のことをとても気に

かけてくれ、自宅にもご招待を

受けていた

『こういう資格を持っていたら

きっと将来役立つわよ』と勧めて

くれたとある資格

早速申し込んだはいいのだけど

元来飽きっぽい私は途中で断念

同僚は資格を取った

 

すっかりそんなことも忘れていた

『もう1度挑戦しませんか?』

単なる企業の誘い文句

だけど何だか心に燻る···

 

もう1回やってみようかな

 

何だか最近色んなことに挑戦

してみたい気持ちがムクムク

 

人生一度きり

やらないで後悔をするよりも

やってみる気持ち

 

珍しく前向きな気持ちになった

 

そんな大雪の休日

 

これから雪かき頑張るぞ···

雪国の宿命にも果敢に立ち向かう

逞しいてるお(だけ)

私は室内で応援😝✨

これが私の生きる道

職場が新体制になり初めての

年末年始

ずーっと仕事となった

シフト制だから···月・水・金は

どうしても透析のため時短勤務

だから、働ける時は···と

自分に言い聞かせて働いたけど

「何故私だけ?」とフツフツと

疑問が湧き上がる

 

同じ資格者は他にも3人も居る

なのに何故?

その前からもちょこちょこと

抱えていた小さなわだかまり

この年末年始に大爆発

 

【そうだ、転職しよう!】

そして、どうせならもう医療や介護

とは無縁の仕事がいい!と

目下就活開始

 

そして今年には、そろそろ

てるおと正式に夫婦になりたく

家庭の方に比重を置きたい

 

そんな矢先、弟が職場で倒れて

救急搬送された

この弟には散々迷惑かけられた

なので思うことも色々あるが 

幼い子どもも2人抱えて

可哀想に···と同情

 

人間、いつ何時どんなことが

起こるかわからない

そう思うと、やっぱりこの先

我慢し続けて仕事はしたくない

 

そんな訳で、じっくり就活を

している今日このごろ

 

おかげさまで透析は3時間から

4時間に延長して血液結果も

良好で透析後も体調変わらず

仕事や遊びにと忙しくしている

 

今年も無事に過ごしたい

 

そんな年始の願い事💖

流れに任せる

特養に父が入所して9年が経つ

40代で脳出血となり左半身麻痺と

なったが定年まで勤め上げ、余生は

デイサービスや町内のカラオケなど

余暇を楽しんでいた

 

そんな彼も2回目の脳出血では

出血箇所が悪く、意思疎通が全く

出来なくなり施設入所となった

 

暫くは話せないものの面会など

行くと『よぅ』とばかりに手を

降ったり笑顔を見せてくれて

差し入れのオヤツなど食べながら

暫し母と私とで束の間の団欒を

楽しめていた

 

コロナ禍になり面会制限が続く

 

段々反応が薄くなり、食事摂取量も

減って来た

 

昨日施設から相談があると呼び出し

何となく予想はついた

 

今日久々に見た父

真っ直ぐ座れず姿勢も崩れよだれを

垂らし虚ろな目

 

固形物が喉を通らずミキサー食に

してみたが水分も1日で500ml程度

 

要は『胃瘻』を入れませんか?と

いう打診

以前から、その意思はないと伝え

署名捺印までしていたのに···

 

看護師さんや職員的には

『まだ若い(78)のだから』

このままでいいのか?と

 

正直私は、延命には否定的

仕事柄様々な終末期を経験していて

【もしかしたら】と思い1日でも

長生きして欲しいと願う気持ちは

良くわかるし、それを否定する気は

全くない

 

今の父が1日どう思って過ごして

いるのかはわからないけど

食べる楽しみも、人と話して

笑ったりTVを見たり好きだった

歌を歌ってみたリなど出来ず

ただ生きながらえ、ただ悪戯に

胃瘻や点滴で無理矢理寿命を

延ばされてどう思うかなぁ···

 

『胃瘻は考えていません』

でも···と看護師は粘る

点滴なども特養では出来ないので

それではこのまま?

『自然に任せたいです

ご迷惑おかけしますけど宜しく

お願いします』

途中涙が溢れかかるも母の手前

何とか堪えた

 

ようやく意を汲み取ってくれた

看護師さん

 

ここの施設は『看取り』まで

してくれるというところなので

最終の意思確認だった

 

帰り道『もう2・3年は頑張って

長生きして欲しいもんね』と

笑顔の母

 

うん、でも多分そんなに長くは

ない話しだと思うから覚悟は

しておいたほうがいいよ

 

こんな話をする私は冷たい娘?

 

 

昔、冗談交じりに父が言っていた

 

【縁側でさ、本を読んでるんだよ

でさ、それをパタッと落とすの

『お父さん?』って声かけた時には

もう亡くなってるっていうのが

夢なんだ  

コロッと逝きたいな〜】

あのときは何言ってんの〜って

皆で笑っていたな

 

夢は叶わなかったけど

少しでも早く苦痛がなく

穏やかに逝ってもらいたい

それが冷徹娘の1番の願い

 

先に逝ってる愛犬2匹が、きっと

迎えに来てくれるはず

 

ごめんね、父さん

私はそう願わずにはいられないから

 

安楽に過ごせますように

 

 

秋を探しに

14日と15日、休みを合わせて

紅葉鑑賞の旅に出掛けた

層雲峡、三国峠十勝岳望岳台

などなど丁度見頃な素晴らしい

眺めに暫し感動✨✨

私の拙い技術では、コレが限界💦

写真が趣味のてるおにはまだまだ

かなわない😭

そして、あまり良くわからないが

この滝の水は薄っすら青味がかって

いて、コレが流れ込んでいるのが

『青い池』となるのです🏞️

 

夜は

『せっかくグルメ』で紹介された

旭川焼肉店で🍴

ここは2回目、前回【A5】の

黒毛和牛を頼み、店主から

『もうね、サッと炙るたけね

焼きすぎないでね〜』と言われ

言いつけを守った私はその夜中から

猛烈な吐き気を催し、せっかくの

豪華な朝食と次の日の初旭山動物園

を泣く泣く諦めた苦い思い出

なので【しっかり焼け!】と

てるおにキツく言い渡され

今回は無事に過ごせ、次の朝

ホテルの豪華な朝食バイキングを

リベンジ出来ました(´ε` )

 

昨日、気温が下がった北海道

峠などでは初雪の知らせが

私らが通ったところももれなく

積雪状態で『ギリギリだったね』

と夜のニュースを見ながら

また思い出話に花を咲かせる

私達でした🍁

 

秋の夜長の怖い話

本当に怖いので、苦手な方は

読まないほうが良いかと···

 

私の母が勤めるサービス付き

高齢者住宅のとある入居者の

お婆さんが自室で不慮の事故で 亡くなったのが三年前

事故とはなっているが本当は

着衣のまま湯を張った浴槽内で

手首を···

 

以来空き家のまま月日は流れ

管理会社も変わり、当時のことを

リアルで知るのは母だけに

 

今年からマネージャーとなった

独身男性が施設に部屋を借りて

住み込むことになり、夜間は

入居者さんの見守りや施設内の

巡視もしているそうで···

 

夜間、何の気なしに例の部屋の

鍵を開け室内を覗いたところ

部屋の片隅に黒いハンドバッグと

靴があるのを見るや全身の毛が

逆立つような感覚に陥り慌てて

部屋から飛び出した

 

翌朝早出の母が出勤するまで

眠れず過ごしたらしい

弟と同い年の彼は、母の事を

『母さん』と呼び懐いているそう

で泣きながら一緒にもう一回部屋に

行ってくれと

 

そして、当然ハンドバッグと靴は

跡形もなく消えていた

 

それが先週の話

 

『それがさぁ···』

その方は、あまりお喋りをする

タイプではなかったのに亡くなる

数日前母に『今日の煮物とても

美味しかった、レシピを教えて』

と珍しく話しかけてきて暫く

話し込んでいたそうで···

『そういえばいま時期だったかな』

 

聞いた私もちょっと鳥肌

 

てるおにも話したら本気で嫌がられ

職場の人も同じ反応

 

私も病院勤め時代は色んな話が

あったけど、それでもトップ5に

入る気持ち悪さな話でした

 

お祓いもしたそうだが、ずっと

空き家のままのその部屋には

まだその方がいるのかもしれない

そんな部屋を横目にずっと働く

母たちの心境や如何に

 

さて、休日の今日

午後からは透析だ 

 

もう少ししたら晩ごはんの仕込みを

 

生きてるうちは精一杯頑張って

命を謳歌しないといけないなぁと

改めて思った話

思い出はそのままで

我が職場を利用されている96歳の

お祖母様

昔、教師をされていたらしく

現在もしっかりしており職員の

顔と名前は完璧に覚えている

 

ひょんな会話から、彼女の義弟に

私が小学校時代教わっていた事が

わかり『いや〜、トシオさんの

こと覚えてくれてて嬉しい。

優しい人だったでしょ?』

はい、そんな先生でしたね〜と

話をあわせておく

 

というのも、実は彼にはとある

噂があったからだ

 

お気に入りのコを自宅に招き

風呂にいれていた

 

ただ、単にお風呂にいれてただけ

なのかはたまた···かはわからない

だけど何故風呂にはいらせてたか

 

なので私の中では【いい先生】

ではなく、少々怪しい人だった

 

いい先生···そう言われて真っ先に

思いだすのは父だった

 

いつも卒業生・在校生問わず

自宅を訪れ賑やかだった

もてなす母は大変そうだったが

幼い頃は沢山のお兄さんお姉さん

が遊んでくれて楽しかった

 

父がある日二人の男の子を

自宅に連れてきた

特殊学級に通う少し知的障害が

あるコらしかった

家庭の事情であまり出歩けない

親らしく、父がバッティング

センターに連れて行き遊ばせて

自宅でお昼ごはんをご馳走した

食べながら沢山楽しかった話を

していて私ら家族もニコニコ

話を聞いたものだった

 

今の御時世、こんなことをすると

うるさく言われるかもしれない

だけど、そういう思い出をくれた

先生の事をきっと忘れないだろう

 

現に父が倒れた時には沢山の

元教え子、その父兄たちが

駆けつけてくれた

中には父の代わりに私達の事を

見守り支えてくれている人も

いる

 

今となっては話すことも出来ず

ただ施設で過ごしている父

何を思って日々送っているかは

悲しいかなわからないけど

あの楽しかったであろう日々を

思い出し心の中では笑っていて

欲しいと勝手に願っている

 

親孝行したい時には親はなし

本当にそう

もう少し父に優しくしてあげれば

良かったと反省しきりの私